ネット世代の雑評論

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「魔法少女」。その特異性。

魔法少女 Wikipedia
魔法少女アニメ Wikipedia
魔法少女 ニコニコ大百科
魔法少女 アンサイクロペディア


魔法少女。日本のアニメ作品などに見られるキャラクター類型である。
その名の通り「魔法を使う少女」であり、往々にして作品における主人公格となる。
基本はエブリデイマジック(というより日本ではこのジャンルが魔法少女と共に発展してきた感があるが)に登場するキャラクターをいい、狭義ではハイファンタジーに登場する「魔法を使う少女」は含まれない。
様々な「魔法少女モノ」の作品があるが、それらの作品を見て行くと中々面白い傾向がある。


まず、「魔法少女モノ」の作品の時代的な流れを簡単に記す。
冒頭のリンクのWikipediaの記事とかニコニコ大百科の記事とかを見てもらえば更に詳しい記述がある。


1966年、アメリカ発のテレビドラマ「奥様は魔女」が日本で放送される。
性別を問わない大きな人気を得た事から、これを受けて東映動画では子供向けに少女漫画のエッセンスを加えた作品を制作することを考え、アニメ化を視野に入れて横山光輝の漫画「魔法使いサリー」が連載され、程なくしてアニメ化された。これが最初の魔法少女アニメである。
これと次に作られた「ひみつのアッコちゃん」の時点で魔法少女モノのテンプレートがほとんど完成していることは特筆に価するだろう。逆にいうと、後の魔法少女作品はこれらの作品との差異がテーマとなっているのかもしれない。

東映による魔法少女モノアニメの制作が休止した後、1982年、葦プロダクションにより『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が制作された。
「大人になる」という方向性のある魔法を軸に作品が展開された。「魔法の否定」、「自分自身の力による夢の実現」というテーマを内包している。
魔法少女アニメの中でその時代の中心とされるアニメが、魔法少女モノに対するメタ構造を持っていることは驚きである。
また、この作品から、女児向け人気と共に所謂「オタク」層にも人気が出てきたことも面白い現象である。元々、「サリー」などでは特に女児向けでなく男児も対象層だったが、発展に従い切り捨てられた形であった。それが形を変えて復活したと見れなくは無い?
特徴的な変身シーンもこの作品からだ。

1983年の芸能界を舞台とし、現実味を帯びた世界観で人気を得た「魔法の天使クリィミーマミ」とその系列アニメと共に第二期魔法少女ブームを作った。

そして1992年、「美少女戦士セーラームーン」。魔法少女モノの血と戦隊モノの血が混ざって出来た作品で、「戦う女性」という概念が魔法少女モノに入った。
それまでの魔法少女モノの作り上げた壁を乗り越えた作品として、また1つ構造的改革を為しているといえるだろう。

1998年、「カードキャプターさくら」がアニメ化。
1999年、「おジャ魔女どれみ」が東映によって制作。
これらの作品は穿った設定は無いながら、魔法少女モノという土台ありきの作品である。
つまり二重に反転して原点に戻った、メタ・メタ魔法少女。ポストポストモダンみたいな。
とはいえもちろん何もかもが戻ったわけではない。現代向けの舞台設定にされ、変身シーンなどそれまでの魔法少女の流れを受け継いでいる。それまでの歴史が否定されたわけではなく、新たに取り入れられている訳だ。

そして2001年、「ぷにぷに☆ぽえみぃ」、2002年「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」、2005年「撲殺天使ドクロちゃん」、2006年「大魔法峠」・・・
邪道魔法少女の時代である。
魔法少女という強固なテンプレート、視聴者がよく知っている(意識はしていないかもしれないが)それを逆手に取った作品群である。
パロディであるが、魔法少女を語る上で欠かせない存在である。
この時点でキャラクター類型として特殊かつ突出したものとなっていた事は想像に難くない。

2004年。「プリキュア」シリーズ、「魔法少女リリカルなのは」シリーズ。
これらの作品はバトル要素を更に前面に押し出した作品群で、魔法少女というテンプレート内で、そこからの変革を推し進めた作品群と言えるだろうか。
特に視聴者層の変革は印象的である。共に男性向けの要素をいくばくか持っている。
というよりも、男性向けアニメの方法論を換骨奪胎したといった方がしっくりくるか。
魔法少女というキャラクター類型には強い魅力があるらしい。

正統派と邪道、それぞれ独自に発展しながら関連している。正統派あっての邪道なのだ。

時が経つにつれて魔法少女という存在の見直し、再構築、再定義が為されていく。
例えば2008年テレビアニメ化した「ストライクウィッチーズ」は架空戦記モノの世界観に魔法少女という設定を当てはめた形になるものだが、その過程で魔法少女のテンプレートは改変され、作品世界に合う様に変容している。
結果として魔法少女モノという印象が薄くなっているが、作品としては成功している。
新しい視点の魔法少女モノと私は定義したい。

最後に、記憶に新しい2011年、「魔法少女まどか☆マギカ」。
タイトルに魔法少女とつけるほど自覚的な魔法少女モノであり、パロディではなくシリアスな内容ながら、魔法少女モノのテンプレートを逆用した問題作と言えるだろう。
現代社会的なテーマを多く内包し、新たな魔法少女の形を見せたまどかマギカは例年に無いヒット作となった。



こういった歴史を魔法少女は辿っている。
これを見て気づく事がある。魔法少女モノは最初の時点でほとんどテンプレートが固まっていた。後代の作品はそれをどう乗り越えるかというのが課題となっていて、変革を起こした作品がヒットしているという事実だ。

もちろん、同じような続編は順当にヒットするだけな訳だが、それにしても魔法少女モノは、魔法少女という設定自身、キャラクター類型、ジャンル自身に自己言及的な作品が多いという事だ。
いや、直接的には自己言及的ではなくとも、その作品のテーマに自己言及性が見られるという事だ。

そもそも少女が魔法という大きな力(作品によって異なるが)を持つという前提が、不自然かつそれ故魅力的だ。
話は多少変わるが中世ヨーロッパでは魔女騒ぎで多くの人が亡くなった。これは、単純に強い立場の人が強い力を持つのではなく、弱い立場である女性が得体の知れない力を持つという構造に大衆が恐怖したというところがあるかもしれぬ。
過去と現在の違いか、西洋と東洋の違いか、そういう類型は現代日本では非常な人気を持つ。

ただ、不自然であるのにそれが定着した、そこが今に続く魔法少女モノの奇妙な構造を作っているといえるだろう。


もちろん悪い事ではない。
創作においては、安定したモノよりも不安定なモノの方が扱いやすいという事もある。
人の心に訴えかけるなら、普通平凡では駄目なのだ。

そういう意味で、魔法少女モノは、ただ魅力的なだけでなく、上位構造からも描きやすいところがあり、それが今日の発展を促しているのかもしれない。



今後、魔法少女はどこへ行くのか。展開に注目したい。
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テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2011/04/28(木) 02:18:24|
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