ネット世代の雑評論

主にネット上に散らばる各々の事象についての紹介、及び評論

インディーゲームとしての東方project

タイトルで落ちているというか、書いている私にはタイトルを読んだ時点で「ああ、そういう事を書きたいのね。良い視点だけど読まないでも内容わかるから読まないでいいや」となるようなタイトルだなあと思っているのだが、それはたぶん私が書いているからだろうと考えられるのでとりあえず書いていく。


インディーゲーム。少人数制作、あるいは一人によって作られたゲームを指す。

やや似たような概念に同人ゲームというのがあるが、同人とは同好の士というぐらいの意味で、つまり同好の士、仲間内で楽しむためのゲームというぐらいの意味合いになる。本来的には稼ぐための物ではないので同人の販売は頒布とか言い換える訳だ。ややレトロニム感もある言葉である商業ゲームの対義語ということになり、まあ同人ゲームも「頒布」される訳だが基本的には商業ゲームが販売されているルートには乗らない。現在はその辺が同人と商業の定義ということになろうか。

お金稼ぎを目的としていないために同人ゲームも基本的には少人数制作ということになる。ある意味では同人ゲームはインディーゲームの下位分類とも言えるのかもしれない。しかしてインディーゲームは基本的に商業ルートで販売される場合が多い。よってやや近くて遠い分類とも言える。とはいえ、定義を緩めていけばいくほど重なり合う部分が多くなってくるのも事実である。

特にSteamなどのダウンロード販売ルートが整備された今、同人とインディーの差は曖昧なものとなりつつある。
そこで、Steam販売も本格的に開始した同人ゲームの金字塔「東方project」をインディーゲームとしての視点で捉える事で新たな知見を得たいというのが本記事の要項である。


まずインディーゲームが現在のゲーム文化においてどのような役割を果たしているか。
それには対極的存在であるAAAタイトルと呼ばれるゲーム群から解説するとわかりやすい。
今日では、ゲームミングPC向けゲームはもとよりコンシュマー機、ゲーム用のゲーム機、PS4とかXBOXONEとかあるいはニンテンドースイッチとか、向けのゲームでさえフルに性能を活かしたゲーム(AAAタイトル)を作るとなると制作コストが酷く高くつくことになる。
もちろんそれこそがゲームの進化の最前線、ということになるが、ゲーム会社としては失敗できないという重圧が強くのしかかる。
よって、宣伝をたくさん打ち、延期は難しく、人気シリーズのIPを使ったりして、他で成功している事をなぞるような保守的な設計にせざるを得なくなる。そうするとどうしても革命的な出来の作品というのは作られにくくなるし製作スタッフにもブラック労働を強いる羽目になりがちである。
やや余談だが、そのようにして超高予算を用いて作られたゲームでも最近では失敗が続いているのを見るとそろそろこの恐竜的進化も終焉に近くなってきたのではないかとも邪推してしまう。

中規模程度のゲームメーカーなどはこのような天上の争いに付いて行くことを放棄し、出来る範囲でお金や人材を掛けたAクラスのゲームやらコストを抑えたBクラスのゲームなどでお茶を濁しつつ生き延びている(AクラスとかBクラスとかの定義は現状特に定まっていないが)。
もっともこうしたゲームもAAAタイトルと比較されるのでなんらかの特徴づけや過去から続くIPの新作というような推しをきっちり盛り込んでいかないと飲み込まれる運命にはある。

で、そうした軸の中でAAAゲームの対極に位置するのがインディーゲームだ、というと話として分かりやすい。
少人数でコストをなるべくかけない。ハードの進化にもさほど付いて行く必要もないし割と自由に販売時期を決められるため時間的余裕も無くはない。もっとも少人数小規模制作なためコストは掛けられないし失敗すると結構ヤバい事にはなる。まあどこも同じだが割と人生がかかってくるか。
こうしたゲームは他の高予算ゲームに対抗するためにAAAタイトルや大企業ではできない、あるいはやらない、作らないゲームでもって成功を収めている。

色々と例示していこうか。
もはやインディーゲームという感じもしないが、Minecraftはサンドボックス型ゲームとして新たなジャンルを創出した。
Elonaはローグライクゲームとしてあらゆる好き勝手を積み込んだゲームといえるかもしれない。変愚蛮怒も商業では絶対に許されないパロディ、というか流用というかを連発している辺り特筆に値する。AAAタイトルよりもインディーでローグライクゲームは多い。そもそも商業でやりたがらないジャンルをやるというのもある。
Super Meat BoyなんかはI wanna be the Guy辺りから続く即死→即復活のゲーム性を完成させたとか言えなくもない。こういったゲーム性は今日ではインディーゲーム以外でも散見される。
新ジャンルの創出という意味ではタワーディフェンス系のゲームもインディーズ出、というかフリーゲーム出か。
Undertaleなんかは独特なバトルシステムを含め、ストーリー、世界観を主軸に構築されている。なかなか思い切ったつくりである。とはいえ作りはJRPG的だ。
思い切ったつくりと言うとCupheadなんかもそうか。まあ大量のセル画を書く関係上コスト面はアレだが、初期アニメーション作品の模倣をゲームでやるというのはなかなかできる事ではない。まあ2Dアクションゲームといえばそうなのだが。

そうした中で東方を見ていこう。
ゲームシステムとしては保守的も保守的な弾幕STG。STGというのはゲームジャンルの歴史的にも古いものである。シューティングと書くと英語圏では所謂FPSやTPSのようなものも含むが、いわゆる縦スクロールやら横スクロールの(あるいは斜めスクロールの)シューティングというのは大会社産の商業大規模ゲームでは下火でむしろ低予算のインディーゲームで盛んである。
まあ、インディーゲームで盛んであるのは半分東方のせいという所も無くはないが、高予算で高収入はもはや期待しにくいが常に需要はあるというジャンルであるからこそなのかもしれない。その辺はローグライクや、あるいはアドベンチャーゲームや2Dアクションゲーム・2D対戦格闘ゲームにも言えることなのかもしれない。

そして東方は基本的に一人制作である。実際、プログラムから絵、音楽、世界観や話に至るまで一人で作るというのはインディーゲームでも割と珍しい。神主の多芸さが想われる。

Steamでの販売もしているしインディーゲームと言っていい訳だが、コンシュマー機用の移植は黄昏フロンティア制作の外伝作品でのみ行われたぐらいである。この辺はやや同人ゲームとしての顔にこだわっている感も否めない。まあ今後どうなるかはわからないが。

で、東方のゲームとしての強み、なんでこんな人気になったのかというのは中々難しいところであるが、やはり世界観や個別に作られた音楽やストーリー、会話、あるいは自機性能やボスの難易度なども含めたキャラクター描写に帰結するのではないか、と思う。
そしてそれはただ一作品のみではなく、紅魔郷が出た時点で旧作が5本もあったという事実に目を向けるべきである。
東方のインディーゲームとしての、いや他の商業ゲームなんかと比べても顕著な特徴はその継続性ではなかろうか。その中での積み重ねこそが人気の秘訣なのかもしれない。

割と最近の神主のインタビューでも続けていくことを重視しているとか言っていた気もする。
実際、この夏に出る東方鬼形獣でナンバリングは17、外伝たる小数点付の作品も含めると22作品と言う事になる。
インディー作品でここまでシリーズ(東方はシリーズじゃないらしいがまあもう神主的にもどうでもいいらしい)が続いているのは多分ないんじゃなかろうか?少なくとも売れてる作品ではないはず。スクエニのAAAタイトルIPであるファイナルファンタジーですらいまだに15である。まあ外伝作品はあっちのが多い気もするが。

Win版最初の紅魔郷を作った時点で妖々夢、永夜抄の三部作で作られる構想があったという。
作品を重ねて世界が描かれていくのだ。
インディーゲームでは実際ナンバリング作品のようなものは少ない。まあ安定して成功を重ねられる制作団体が多くないというのもあるが、理由としてはインディーゲーム故の新しいシステムに拘りすぎるからというのもあるのではなかろうか。新しいシステムを必要としないならばむしろDLCにした方が安定する。インディーゲームでも歴史の長い作品(シャンティとか)ならハードの進化に合わせた進化もあり続編が作られうる。

東方projectははっきりいって進化という進化は無い。そりゃまあ、新作になるにつれて要求スペックもビミョーに上がってきている感もあるが、システム的にはそれぞれの作品にそれぞれの付加的なシステムが付いているぐらいである。ボスキャラの周囲を巡る体力バーなど細かい継続する要素もあるがはっきりいって革新性のある何かではない。
東方というゲームはあくまで古典的かつ典型的な弾幕STGであるのだ。そしてそれは需要があるものであり、余り崩されることが望まれていないものだ。
であればこそ長く続けられる。魅力はキャラやストーリーと言った方向で補充される方向なので、予算が必要となる形でもない。

この辺りが東方のインディーゲームとしての特徴といえるだろう。
そしてそれを可能にするのが神主のセンスであり、また古典などの文化を知る知識量、それを盛り込む業前であろう。
弾幕STGであるというのはもちろんそれ自体も楽しめるモノであり需要があるが、むしろ表現方法として解釈すべきか。弾幕をキャラクターの個性として描くのは神主の発明とまで言えるものではないかもしれないが、スペルカードも含めそれを強く意識したデザインとして作られたのはやはり東方が特異点と言える。


実際、ゲームというのは総合芸術であり、いわゆるゲーム性、駆け引き的要素とは別のところに魅力を置くゲームも少なくはない。
例えば、一昔前は同人ゲームの雄として名を馳せたひぐらしのなく頃に。アレは選択肢の類のないアドベンチャーゲーム(サウンドノベル?)という一見無茶苦茶なモノであったがその非常に思わせぶりなストーリーで高い人気を博した。まあゲームというより小説の類説もあったが。実際小説で出てたような。一応ミステリ小説めいた謎解きがゲーム要素との事だが……
その辺で言うならFateやらあの辺もそうか。

制作者の能力が反映されやすいというのもインディーゲームの特徴か。


で、東方の特徴と言えば二次創作への強い寛容さか。
東方の二次創作は非常に多く、それに同人レベルならば寛容に許可を出しているのがまた東方同人が増える要因で、それでまた東方の原作に触れるファンを増やす。
神主自身も商業で本を出したりもしており、ファン層はかなり広がっている。
特筆すべきは、長大な期間人気を博しているためファンの年齢層もかなりばらけているということだろう。世代を超えた人気作品となっている。これだけ強力なIPはAAAタイトルにもなかなか無い。

そうして東方文化は消費者だけでなく制作者方向にもかなり広がっている。Undertaleの戦闘が弾幕なのは完全に東方の影響だもんね。
長く続けることで一個の作品では成し遂げられない事をしたわけだ。売り上げではそりゃ他のインディーゲームで何倍にもなるものがあろうが、それでも東方に勝ったと断言できるような作品が現れないのはそこだろう。大量に作品がある以上総合売り上げがどうなってるかはわからないしそもそも一作品の売り上げ自体言うほどわかってないが。いつだったかの推定では一作品10万本とかそんな単位だっけ?重度の東方ファンは全部買ってたりする訳でそう考えるとそれもまた凄い事である。

結論としては、インディーゲームとしての東方projectは継続的に描かれる作品群として強力なファン文化を作り上げているのが特徴であり強みであるといった具合だろうか。



結局のところ制作者に依存する作り方のためインディーゲーム制作論として使える話でもないが、東方のインディーゲームとしての立ち位置という所が見えてきたのではないだろうか。
結構興味深いものではある。新しい事をやるばかりが能ではないということ。継続は力なり?まあそうだがそういう話でもない?
まあこういった面を考えつつ今後の東方の在り方、扱われ方というものを見ていくと面白いこともあるかもしれない。
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テーマ:東方 - ジャンル:サブカル

  1. 2019/06/23(日) 01:48:02|
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