ネット世代の雑評論

主にネット上に散らばる各々の事象についての紹介、及び評論

ウィキペディア探訪 ウィリアム・ジェイムズ・サイディズ

ウィキペディア ウィリアム・ジェイムズ・サイディズ

最近知った知らなかった凄い事。人だけども。
まさに「五つ神童、十で天才、二十歳過ぎればただの人」という格言そのものに見えるが、この格言は驕って次第に努力しなくなるという意味のような気がするから違うように思える。

早期英才教育の効果は合ったが精神に有害だったと結ばれている。そうだろうか?まあそういう面もあるだろう。
むしろ、天才だろうが功績を残せない事もあるということじゃないだろうか?

天才というのは必ずしも生物学的な適応度が高い訳でもなく、社会的に適応性があるわけでも、「運」などという固有の値だか消耗する量だかわからないものが多いだか大きいわけでもない。
限られた分野でも、特異な才能を持つものがそう呼ばれるだけなのだ。

運とは結果である。私はそう思う。
実力と結果は必ずしも同調しない。実力以外にも様々な要素があって、その累積を人は結果から見て運と呼ぶのか。
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テーマ:雑学 - ジャンル:サブカル

  1. 2010/02/22(月) 00:58:10|
  2. 雑学
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  4. | コメント:6
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コメント

No title

彼は、そのずば抜けた知性に嫉妬した人々から様々な嫌がらせを受けたようですね。
ウィキペディアには「早期英才教育によって精神的におかしくなった」かのように書かれていますが、彼のように突出した人間を受け入れるだけの度量が社会にないことこそが問題でしょう。
問題は英才教育ではなく、天才を受け入れられない卑屈な凡人社会の方だと思います。
まあ、彼らはそれを認めようとはしないでしょうが。
  1. 2010/08/25(水) 05:22:55 |
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  3. 名無し #-
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Re: No title

> 彼は、そのずば抜けた知性に嫉妬した人々から様々な嫌がらせを受けたようですね。
> ウィキペディアには「早期英才教育によって精神的におかしくなった」かのように書かれていますが、彼のように突出した人間を受け入れるだけの度量が社会にないことこそが問題でしょう。
> 問題は英才教育ではなく、天才を受け入れられない卑屈な凡人社会の方だと思います。
> まあ、彼らはそれを認めようとはしないでしょうが。

確かに「英才教育が間違いである」というのは必ずしも正しいとは思えませんね。
とはいえ才能・能力というのは一方向のパラメーターではなく多岐にわたる物ですから、あるいは社会に自分を受け入れさせるという面では上手いとはいえなかったのかもしれません。そういう教育も含めてすればより確かにはなるのかもしれませんが。

彼以上の精神面で難がある人物も、高い評価を得た天才とされている場合もあるので、もし少し歴史が違っていれば大数学者と言われていたのかも・・・

まあ我々は配られたカードで勝負するしかないという事です。
名声を得ても幸せかどうかはまた別の話ではありますし。
  1. 2010/08/25(水) 17:23:07 |
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  3. たていと1 #-
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No title

どこが「ただの人」なわけ?
幼いころの成長が常軌を逸したレベルだったから、大人になって特に何もしてないように感じるだけじゃないの?
7ヶ国語喋れる数学者が「ただの人」・・・?
  1. 2011/02/20(日) 18:01:42 |
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  3. #-
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Re: No title

> どこが「ただの人」なわけ?
> 幼いころの成長が常軌を逸したレベルだったから、大人になって特に何もしてないように感じるだけじゃないの?
> 7ヶ国語喋れる数学者が「ただの人」・・・?

たしかに「ただの人」ではありませんね。Wikipediaの記事にその諺から来た言葉と思われるものがあったので私も書いたわけですが。

たぶん、私が思うに、この人がその諺の典型例と思われるのは、能力を失ったというわけでもなんでもなく、大人になってからの影響がその前半生と比べて、精彩に欠けるからではないでしょうか。

歴史に影響を与えるとかそんな事だけが人生とは私は思いません。
ただ、能力があれば期待されるのは事実です。
  1. 2011/02/20(日) 18:34:42 |
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  3. たていと1 #-
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No title

1898年4月1日に生まれて、1902年4月に幼稚園に入って、1905年4月に小学校に入って、1911年4月に中学校に入って、1914年4月に高校に入って、1917年4月に大学に入っても、何の問題も無いと思う。だって、どうせ結婚しないで46歳で亡くなるなら、その辺の独身男性と同じじゃん。
  1. 2016/06/23(木) 13:39:17 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

Re: No title

> 1898年4月1日に生まれて、1902年4月に幼稚園に入って、1905年4月に小学校に入って、1911年4月に中学校に入って、1914年4月に高校に入って、1917年4月に大学に入っても、何の問題も無いと思う。だって、どうせ結婚しないで46歳で亡くなるなら、その辺の独身男性と同じじゃん。

本人が自分の人生に満足しているか否かが重要ですね。
偉大な功績を歴史上に刻んだところで本人の価値観にそぐわなければ仕方がないことですし、むしろ凡人として生活している天才は意外とそこら中にいるのやもしれません。
  1. 2016/06/23(木) 21:34:30 |
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  3. たていと1 #-
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