ネット世代の雑評論

主にネット上に散らばる各々の事象についての紹介、及び評論

「作者より賢いキャラクターは作れない」説の真偽を考える

知能 - Wikipedia
知識 - Wikipedia
知恵 - Wikipedia


「作者より賢いキャラクターは作れない」、「作者より頭の良いキャラは存在し得ない」、たまーに聞く話である。
単純に理屈として考えると、作者が作品を作っている以上作者の知力を超えるキャラはその作者の知力では動かせない、みたいな話だろうか。8bitのコンピューターで16bitのコンピューターをエミュレートすることは不可能、といったところか。


まず、反例でも出しておこうか。
コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを産み出したが、現実世界のドイルが作中のホームズのような天才という訳ではない。

それ故「作者より賢いキャラクターは作れない」説は偽である、と一方的に宣告するのは簡単であるが、それではつまらないし、あえてそういう説を出す人々もそのぐらいわかっていて言っているだろう。


ここで問題となってくるのは「賢い」、「頭の良い」という言葉の意味、その多様性である。

「頭の良い」。もちろんこの場合はサッカーでヘディングするときに都合が良いとかそういう意味ではない。脳髄の働きについて言っている。言うまでも無く脳幹の心臓を動かす何やらの話でもなく大脳の機能についてである。
まあ、要は脳の高次機能とかいう奴、その中でも思考、推理、記憶なんかについて言っている訳だろう。

「賢い」となると、上記の「頭が良い」とほぼ同義で使われる場合もあるが、もっと踏み込んだことを言えば「物事の判断が適切だ」とか「他人に対する配慮がある・思慮深い」とかそういう意味を帯びてくる場合もある。頭が良いだけなら「利口」ということになるのだろうか。
何にせよ、ただ大脳神経のステータスだけではなくその内容についてまで言われている訳である。ハードウェアが良くてもソフトウェアがクソならばコンピューターもたいがいクソである。スーパーコンピューターが円周率を延々と計算している姿には頭の良さは見受けられても賢さは存在しない。


「作者より賢いキャラクターは作れない」、一体どういう意味合いの賢さについてなら真と言えるのだろうか。

数値的に指し示されるものに関しては偽である。
IQ500だとかそういう馬鹿設定のキャラは馬鹿にでも作れる。
何か国語喋れるとか写真記憶とか計算能力とかも幾らでも盛れる。そういうのは問題外である。
ただし、実際に別の言語喋らせようとさせたりしてミスしたり、暗算で間違ったりという悲惨なミスをやらかす作者もいるというのはたしかである。

技術的な意味合いでの天才、例えば科学者だとか発明家だのに関しても偽。
これはその実質的な仕事について隠されるからである。真実そういった科学的理論が作れる作者ならばむしろ科学者になれという話。まあ科学者なんかがSF小説を書いてる場合もあるが。
説明をし過ぎてボロが出る、という場合はある。

知識については、偽である。
調べればいいだけの話である。何でも知っているようなキャラクターは現実世界のグーグルや図書館に繋がっている。
とはいえ、何を調べればいいのか、何を調べるべきなのか、何を知るべきなのか、というところで困難が伴うところではある。

頭の回転、思考速度についても偽としておこう。
登場人物が瞬間的に思いついたことは作者が数週間七転八倒して考え付いたことかもしれないのだ。
作者の奇跡的な発想を天才的キャラの日常とする。まあ効率は悪いが一つの天才ができる。

創造力、発想力、推理力、この辺りになると怪しくなってくる、が、偽である。
わかりやすいのは推理力。探偵ホームズが一つの証拠から十の真実を知ることが出来るのは、言うまでも無く犯人ならぬ作者たるドイルが十の真実を用意した本人だからだ。
要はストーリーや世界観から、答えから作ってるから簡単だというやり口だ。
無論だが、作者の力量が足らないと作品ごと崩壊してしまう。ミステリーとはそんなもの。

では、「賢明さ」という言葉で表されるような、例えば判断力といった面では?
そりゃあ、長い時間考えれば最適解が見つけられるような出来事もあるだろうが、全ての要素を知っていてさえ100年考えても人によって回答が異なるような、そんな事象も多い。
そういったことでも、やはりより正解に近いような答えというものはあるものであり、そういった選択を繰り返すことで成功を収められるのは一つの賢さであろう。
頭の良さに戻すならば、将棋のある一局面の最適解とかだろうか。余りにも選択肢は多すぎるかもしれないが、やはり何かが最適解で、そうでないにしても良手悪手が様々に存在する。まあ将棋漫画は実際のプロの棋譜を使うんだけど。
なるほどこういった極めて限られた意味ならば、「作者より賢いキャラクターは作れない」説は真と言えるだろう。
答えの無い問いに答えをつけねばならない時、その時こそ作者の真価が問われる。そういう事をこの説を喧伝する人は言っているのだろう。


無論、「作者よりも賢」そうに見せかける手法ならば他にも色々ある。それも作者の力量次第だが。
作者が馬鹿ならばキャラクターも馬鹿みたいなことになるのも確かである。ストーリーの都合でキャラが非合理なことばかりしているというのはよく見る光景。


結局のところ、「作者より賢いキャラクターは作れない」説の本質は、「作者が馬鹿だとキャラも馬鹿」というのが大きいか。
説が言わんとするところは「身の程をわきまえてキャラを作れ」ではなく「作者の知力、力量、能力を向上させろ」という言ってしまえば単純だが何よりも大切なことであろう。
そもそも、身の程など弁えている人間がクリエイターになどなるものか。
スポンサーサイト

テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2017/09/13(水) 01:40:56|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<ヤングジャンプ連載漫画「うらたろう」第48話感想 | ホーム | 致命的な例外。2017年第37回動画紹介・ジャンプ感想回>>

コメント

この説の反論に、時間をかけて緻密にキャラの思考を理論立てていけば可能だと言う、意見がありました。
色々意見はあるでしょうが、天才系のキャラがいなければ、いろいろな作品がつまらなくなると言う事だけは、事実でしょうね。
  1. 2017/09/21(木) 01:09:32 |
  2. URL |
  3. #bKYe7CQo
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> この説の反論に、時間をかけて緻密にキャラの思考を理論立てていけば可能だと言う、意見がありました。
> 色々意見はあるでしょうが、天才系のキャラがいなければ、いろいろな作品がつまらなくなると言う事だけは、事実でしょうね。

結局はこういう説の真偽は言葉の問題でしかないんですよね。
天才は良い作品を書けて頭の悪い奴は良い作品を書けない、という1+1=1+1的な意味の無い結論に収束するというか。

であるからして、こういう説に変に萎縮するのだけは大間違いではあります。
たとえ能力に乏しくても、配られたカードで必死に勝負をかけるべきです。
  1. 2017/09/21(木) 01:17:05 |
  2. URL |
  3. たていと1 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://tateito1.blog48.fc2.com/tb.php/2513-cb215302
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)