ほとんど (数学) - Wikipedia高々 (数学) - Wikipedia病的な (数学) - Wikipedia何か単語の後に()を付けると微妙にネット用語っぽさがある。大昔でいえば(核爆)の類、最近なら(察し)とかか。
これはそういうのとは関係ないが、()を付ける必要性がある言葉の使い道であるという訳だ。
数学は科学の女王ともいうが、学問の中でも極限的に特化したものの一つであり、言葉一つの使い方でさえ日常生活でのそれとは異質な場合がある。
ほとんど、とは数学的には0ではないとか、有限に対する無限とか、そういうかなり極端な例でいう。
高々、は「~以下」とほとんど(数学ではない)同じだが、場合によっては「高々可算」、とか言い出して、可算無限集合以下とかいうやや意味の分からない話にまで持っていく。それ以上なら非可算無限集合とかなって、自然数全体の集合の濃度より大きいとか、そもそも
この場合の濃度の意味が分からないし分かったところで話は分からないし、突き詰めていくと
連続体仮説とかいう現代数学の公理系では証明不可能とかいうギリギリの話にまで進んでいく。
病的というのはその性質が異常だとか変則的に悪質だとか直観に反するとかそういうことで、何かの定理について反例を持ち出された数学者がその反例に対する反論として使うようだ。この言葉自体が変則的に悪質に捻くれてる感もあるが。
なんにせよ、数学という場において言葉は、日常生活において使われるそれとは変質してしまうという事。
言葉は造語するのでなければ何かから流用する訳だが、必ずしも当てはまる訳では無いのだ。そこには混乱があり妙味があるか。
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テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル
- 2016/04/24(日) 06:28:56|
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