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いちばんうしろの大魔王 最終巻である第13巻、及び全体の感想

いちばんうしろの大魔王 - Wikipedia


遂に完結である。いちばんうしろの大魔王。
スーパー藤子大戦だとかいわれる、俗にいうライトノベル魔王ものの割と先駆けの方に位置するこの作品。
書いてる途中で作者が鬱病だかなんだかになったがとうとう完結である。

完結することで生まれる価値がある。しかし、完結させることが難しい場合もある。
その辺りの作者含めたメタフィクションな内容の最終巻は、少し「ライトノベル」としては場違い感もある。
しかし、いちばんうしろの大魔王、完璧で「論理だけで愛がない」魔王、紗伊 阿九斗の物語としては妥当も妥当な結末だと言えるかもしれない。行き着くところまで行った、2chの最強作品議論スレに載せれるような段階まで作品が、物語が進展した。完璧なキャラクターが辿る究極的な結末であり、そこで自殺・自死を否定してしまえば、物語は終らない。さてどうするか、それがこの最終巻の試みではないかと思う。
作者の実体験であり、学術的な究明であり、SFマインドに長け、メタフィクションの興味深い試みであり、小説としてのグッドエンドへの道を探る冒険であった。

いや、この最終巻のかなり難解な物語論のその全体を理解した訳ではないが、理解できなくても面白いと思わせる事が出来た時点で珠玉の傑作、いちばんうしろの大魔王という作品シリーズもグランドフィナーレし、少なくとも私の心の中で大名作という認識となった。
大袈裟かもしれないが、一つの究極を見た気分である。



まあ前置き、というか総合的な完結ということについての感想はここまでにして、第13巻の感想、そして一巻からの全体の感想の感想、そして総括と移ろう。
ああ、ちなみに1巻から12巻は13巻を読むにあたって特に読み直してないので注意してね。記憶で語るので間違いとかあるかも。

第13巻の序盤は死後の世界、死者の意識の世界というか、「紗伊阿九斗が望むところの世界」のようなものである。
しかし、魔王紗伊阿九斗は満足しえない。そういうキャラなのだ。だからこそ魔王なのか。最初からこれ以上ないほど高い望みとそれを叶えられるだけの能力を持つ、そういうキャラなのだ。
てーか、ハーレム系ライトノベルだとは思ってたが、普通に一夫多妻して、しかもしっかりその全員とセックスするとは本当に魔王である。つくづく思うが、挿絵の少年漫画風のキャラデザインは絶対間違ってると思う。もうちょい完璧超人系インテリ風のキャラデザじゃないと本当に落ち着かない。いやまあ最終巻の表紙は嫌いじゃないが。
しかし、完全に理想的な条件な訳だ。結局豪邸に住んで世界を弄び、美女達のハーレムを作るというのはどうあっても「魔」な「王」なのだなあ。

というか、これライトノベルだよね。対象年齢は本来中高生だよね。いいのか?セックス描写。一応このブログも全年齢対象なので、セックスという単語までに留めておくが、普通にしてるぞ、セックスを。セックスという単語もわかりやすいが原語を考えると婉曲表現なのでもう性行為と書くが、こいつら自身何歳だっけ?たぶん未成年だよね?なんか飛び級かなんかよくわからんが学校は卒業して結婚してるが、うーむ。
法律が違う国家を書く場合の性行為描写は別にいいのか?芸術表現として認められるとかいうよくわからんしうさんくさいアレで大丈夫なのか?
というか、主人公で魔王の紗伊阿九斗が性行為に耽っている描写に挟まれて、もう一人の主人公で勇者のヒロシが時間跳躍して過去に戻って悲惨な時間改変の苦行(ちなみに無意味)をしてるのもシュールというか、落差が凄まじい。赤ん坊の阿九斗を殺しても本人は全然ピンピンしてるし。
まあ勇者が苦労している間に魔王が酒池肉林しているというのはある意味美学か。三人のヒロインを三者三様で毎日楽しみまくってる主人公。良く考えれば生前の世界でけーねと結婚したようなアレもあったし、ホントもう何なんだよ。

ニャル子さんの最終巻でも主人公達が性行為してはっきりカップリングを決めて終わってたが、最終巻で性行為って流行ってるのか?まあ、ライトノベルの、ラブコメの行き着く先の究極はそこだが。本来はそこに行くまでに物語が終わるんだよねえ。
そういやニャル子さん最終巻でも最後の必殺技が微妙にメタフィクションしてたような。まあ元々からしてパロディだし?パロディ以上の何かになったのか。


自殺・自死というのは狂気の産物として否定する。序章に先にそう書かれている。
では、他にやることが無くなったらどうするのか。哲学的な問いか。
紗伊阿九斗が死後の世界ごと握りつぶせばどうなるか試そうとすると「自同律」が止める。(私は自同律、この小説における自同律というものがどうにも理解に苦しむ。要するに作者のようなものだろうか?)
デッドエンドで物語を終わらせるのは簡単だが、それだけはしたくなかった作者の心境がうかがえる。
ではどうするのか?

それを考える作者の苦悩がそれ以降に描かれている、と見ていいか。
キャラクターというのは作者自身の投影だとも言われる。そうでなければ生きたキャラクターは書けないとも。
紗伊阿九斗は、あるいは作者の理想像のようなものかもしれない。完全に論理的な人間。しかしそれでは、論理では解は導き出せ無い。阿九斗が作者では満足せずに終わってしまう。そういうこと?

しかし、「阿九斗が考えた物語」も中々面白そうなものが多い。ライトノベル的なモノもあれば、架空戦記染みたもの、どっかで聞いたような話とここだけ単純に切り取っても面白い。ニンジャという単語が出た時は本を落としそうになった。
そしてそれら空想は物語の終末、物語論にまで発展する。読んでいて非常に興味深い。

最終的に、阿九斗とヒロシ、及びいちばんうしろの大魔王のキャラクターで阿九斗を批判するキャラクターたち、最後には「外宇宙の神々」と称して「物語」の極端な形が出てくる。
そしてそれにより紗伊阿九斗自身に欠けているモノ。つまりこの小説自身、その欠陥が。論理だけで愛がない。

しかしもう一人主人公はいた。ブレイブことヒロシ。魔王に対応する勇者である。
勇者の自己犠牲の情熱により、この小説はグッドエンドを迎える。

最終巻の冒頭と第5章冒頭は作者自身を書いたものといって大きく外れてはいまい。
最終巻直前のスランプ、この本で描かれるところの"キチガイおばけ"。
物語を完結させることが困難になった。架空の物語をどう完結させるべきか。
それは、可能な限りリアルにして、紗伊阿九斗の、いちばんうしろの大魔王という物語を終わらせる、ということ?
この辺りの理解がまだ不十分だが色々考えさせる。
物語の作者はライトノベルの主人公、完璧な魔王である紗伊阿九斗であってはならない、平凡な作者が、物語が終わった後も何か書きつづけるものでなくてはならない?(「作者の」デッドエンドという終わり方、すなわち未完もあるが。ノボル先生……)

第6章の物語の軽さがシフトしてゼロになる、虚体になる、虚数になる云々は、物語が完結した、という意味だろうか。完結した状態になる。ふむ。
物凄く大雑把に、というかまあ誤解を生む言い方で言えば解脱エンド?物語のキャラは涅槃に入り全て終わる。人造人間だろうがキャラには変わりないもんね。
しかし作者自身=ヒロシ=自同律は残されて、新たな物語を書くしかない。そういうことか。
なるほど深い。あってるかどうかわからんけど。しかしそこまで考えさせるほどの作品であった。

結局作家は作品を書きつづけるしかないという自省のようなものか。
水城正太郎という作家自身をぶつけたまさに血をインクに変えて書いたような最終巻であった。


いちばんうしろの大魔王。ようするに、魔王、アーチエネミー、RPGで言う所のラスボスが主人公のライトノベルである。
今の新人作家の年齢層や主要購買層の年齢層がドラクエ世代以降なのか、近年ではそういうややパロディめいた作品群が粗製乱造されている。
しかし、その中で本当に魔王的魔王が主人公をしている作品は、余り多くない。
いちばんうしろの大魔王はそういうパラドックスに正面から挑んだ作品である。

加えて、何か漫画界の二人の巨匠、藤子A藤子Fの作品群から題材を得たようなキャラクターがライトノベル的楽しさを盛り上げる。
しかし、藤子両先生の作品群は、有名なものでは例えばドラえもんなども、ギャグ漫画としてほとんど完璧でありながら、強いSFマインドを持ったところがある。
そういった作品群に作者、水城先生が影響を受けていると考えていいだろう。
あるいは、「ドラえもんの最終回」のような都市伝説に影響を受けて最終巻が書かれているのかもしれない。

ハーレム型ラブコメであり、美少女達の個性はきっちり分かれていてライトノベルとしての完成度は高い。
実際最終巻ではハーレムがシャレにならなくなってたが。まあハーレム、後宮的なのではなく一夫多妻だが。
個々キャラクターに対して感想を述べるのはやめておこう。1~12巻読み直してないし。
比較すると男性キャラクターは主人公以外ややなおざりだった傾向があるかもしれない。まあやられ役は必要な訳で。

ライトノベルをしていながら、きっちりとSFとして読ませる。これは結構すごいことだ。理想的とも言える。
ハルヒなんかは結構その辺上手くやってるが、あれも新刊出ないんだよなあ。やはり難しいのか。

こと完結までして、私の中でいちばんうしろの大魔王という作品は非常に大きなものとなった。
完結するというのは、私はこの最終巻で書かれるほどに究極の価値を見出してはいないが、やはり大きな価値があるものである。



作家は作品を完結させ、次の作品を書く。
読者も作品を読み終え、次の作品を読むことにしよう。
前の作品が次の作品への糧となることもある。完全に何もかも終わることはないのだ。






…… いや、また一巻から読み返そうかな?
同作者の「せんすいかん」もまだ第二巻までしか読んでないし……
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テーマ:読書 - ジャンル:サブカル

  1. 2014/04/01(火) 22:43:29|
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