ネット世代の雑評論

主にネット上に散らばる各々の事象についての紹介、及び評論

インターネット探訪「ドレミの歌のソ以降の盛り上がりは異常」

ドレミの歌のソ以降の盛り上がりは異常
ドレミの歌のソ以降の盛り上がりは異常 〜理屈編〜

かなり面白い。確かに異常な盛り上がりである。
理屈編では音楽の音の要素から盛り上がりを説明している訳だが、私は歌詞から考えてみたい。そういえば昔、詭弁のガイドラインでドレミの歌バージョンの改変を読んで面白かった記憶があるのだが、どうも探し出せない。それも載せたかったのだが、どこかで見つけたら教えていただけると幸いである。

ドーはドーナツーのードー
レーはレモンのレー
ミーはみーんなーのーミー
ファーはファイトのファー
ソーはあおい空ー
ラーはラッパのラー
シーは幸せよー
さあ歌いましょう

ドーナツのド。
ドーナツと言うのは甘いおやつである。焼きたてジャパンでは甘さのみが重要なものだとか極論書かれてた記憶がある。
甘さというのは最も原始的な「快」の感覚の一つで、それから始まるドレミの歌は平穏さ、平和な印象から始まる。元々幼児への音楽を教えるための教材としての歌のようなものなので、歌に対する警戒心を持たない幼児にはなおさらである。

レモンのレ。
果物でまだ平和のように思えるかもしれないが、レモンと言うのは非常に酸っぱい果物である。これはこの先の激動に対する緩衝材というか、前触れではないのだろうか。急に動いても企みが露見するもんね。

みんなのミ。
みんな。子供ならばみんなと言う言葉に平和的な響きを感じるだろう。しかし少しでも年を食って捻くれた人間ならば、その言葉、集団と言う概念に潜む闇に恐怖せざるを得ない。
ドーナツ、レモンと食べ物が続いて(レモンは食べ物と言うと微妙だが)、いきなり「みんな」という社会的概念に富んだことも注目だ。注目を本題から逸らしてから巧みに誘導する悪意が感じられる。

ファイトのファ。
ファイト、直訳すれば戦うという意味。ここでは頑張れとかそういった応援の意味で使っているのだろうが、ここでいよいよ露骨になってきた。前項の「みんな」と合わせるとどう考えても集団圧力の暗示である。
そして、原義から察するに、集団闘争、なんらかの革命的意思をも感じられる。
概念としては、モノがあった「みんな」から行動や応援といった動作になったのも悲劇的な未来を想像させる。

あおい空。
ここでいきなり音階も歌詞のテンプレートも激変する。ここで一気に載せてしまおうという魂胆だろう。
「の」が消えたのは付けなくてもわかるようになったと判断したからだろう。
青い空。「みんな」、「ファイト」の後で来るとどうしても不吉な感じを受けてしまう。具体的なモノを表しているが、明るく正しいイメージが無根拠に持たれている青い空。ここに来て疑惑は確信に変わる。

ラッパのラ。
ここで「の」が再び付き、ラッパと言う指し示しやすい具体的物質に戻っていることに呆気にとられる。こちらの警戒を察知され慌てて取り繕ったか?
しかし、ラッパである。音楽と言う題材でラッパ。メタ的な意味合いでいうとこれは終末のラッパ、キリスト教における世界の終焉、最後の審判の際に吹き鳴らされる黙示録のラッパの事だと断定してまず間違いあるまい。

幸せ。
ここに来て完全に理解する。まず、平和的に近寄って(ドーナツ、レモン)、その中でコミュニティに取り込み(みんな)、思想を植え込み(ファイト)、個人の世界観を再構築し(青い空、ラッパ)、そして従うことこそ「幸せ」だと洗脳する。

そして実践(さあ歌いましょう)という訳だ。
何とも恐ろしい新興カルト宗教の手練手管がそこにはある。
これを子供向けの歌として音楽教育のために用いているという所に最大の闇を感じるのは私だけだろうか。今すぐにでも中止されなければならない。
純粋な子供達が邪悪な組織に利用されないうちに……




※この記事は冗談です。
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テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2013/12/04(水) 05:18:49|
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