ネット世代の雑評論

主にネット上に散らばる各々の事象についての紹介、及び評論

Wikipedia探訪「セネト」「タブラ」「すごろく」「バックギャモン」

セネト
タブラ
すごろく
バックギャモン
それぞれWikipediaより


科学が発達せざる古代から、人類は人の手に及ばぬ運命を計るために様々な事をした。

例えば占い。偶然が作りだす何かを読み取り運命を知ろうとする所業である。骨や甲羅を焼いてその罅から占う甲骨占いは政治を左右したし、手相人相占いで人の一生を知れると思い込んだ人も多い。星占い・占星術は星の動きの解明により天文学へ繋がった。
裁判もまた同じで、古代においては何かを証明するのに科学的捜査など出来るはずもなく神判の類に頼るほかなかった。
釣りもまた一つの運試しである。魚が釣れるか釣れないか。そりゃあ上手い下手はあるがしかして連れる時は釣れるし釣れないときは釣れない。その事実を持って吉兆を占う。そういう事も行われた。大漁旗がめでたいものとされるのはその名残といえよう。
そして賭博もまた一つの運試しである。

単純な立方体であるサイコロが転がって出る目は凡人には計りがたい。
賭博に勝つ者は神に愛された者として尊敬の対象になる。
やはりそれは賭博と言うものが一種の占いであったからに他ならない。
科学がそれなりに発達した現代においてさえ(どうせ胴元が勝つのに)ギャンブルが市民権を得たままであるのは、そういうふうに強力に文化に結びついているからだ、といえよう。



前置きはともかく、なんにせよ古代から賭博、ギャンブルの類はあった。

ギャンブルの始まりがいつになるのかは定かではないが、今知られている限り世界初のギャンブル・ボードゲームは紀元前3500年、先王朝時代のエジプトより始まる「セネト」だとされる。
セネトは一種の2人対戦すごろくゲームであり、10マス×3列を基本とする盤を2面ダイス代わりの色を塗った棒で数を決めてそれぞれ5つのコマを進めていき、始めに全てのコマをあがりまでもって行ければ勝ち、と言うルール、と推察されている。
あがりには死者の魂の復活などという宗教的な意味合いが為されていたりする。つまり難関を乗り越えて死後の復活を迎えよう、と言うフレーバーがあるわけだ。初期はただのすごろくだったらしいがともかくそれで人気に火が付いた、はいいがキリスト教やらイスラム教やらが入ってきてからはそのせいで廃れたという。

ともかくそんなセネトが帝政ローマ時代に東ローマ帝国に伝わり考案されたのがタブラであるとされる。
12マス3列(あるいは12マス2列)に改良されており中世ヨーロッパで広く執り行われた。

中近東ではそれがナルドになり、それが中国に伝わり雙陸、日本に伝わると雙六=双六(盤双六)となった。それが絵双六となっていくわけである。双六とは使用される2つのサイコロが共に6の目を出すこと、つまり最高の目を指している。

タブラが西洋で発達したものがバックギャモンである。19世紀以降になるとルーレットなどの賭博に押され衰微してたバックギャモン系ゲームだが、1920年、アメリカはニューヨークでダブリングキューブを含むルールが考案されそれが現代バックギャモンへと繋がっていく。ダブルを宣言すると相手は負けか掛け金2倍かを選ばなければならなくなる。この射幸性の高いルールが人気となった。


こういった双六系ゲームはモノポリーや人生ゲームにも繋がっている。中々に複雑で世界的。麻雀やトランプといったゲームも似たような複雑さがあった。双六の起源はエジプトで、トランプや麻雀の起源は中国(馬弔)、みたいな?他にも調べても面白いかも。将棋やチェスの起源はチャトランガでインド?
遊戯の歴史と言うのは他の文化に比べて文章的記録・史料が少なく歴史を追うのが難しい傾向にある。しかしだからと言って文化として上だ下だということはないし、むしろ難しいからこそ面白いというものもあろう。興味深い分野である。

テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2020/02/29(土) 23:39:38|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

カードラゴニュートとかいう



カードラゴニュート。上のツイッターリンクの同人誌では、
まずドラゴンと人間が交わりドラゴニュート、半人半竜の竜人が産まれる。
で、ドラゴニュートが車とドラゴンカーセックスを執り行った際に出来た子供がカードラゴニュート、ということになるらしい。

中々にイカレているといえよう。
そらまあドラゴニュートぐらい種族多めのファンタジー世界ならざらにいるよ?
ドラゴンカーセックスもさ、まあそれをオカズにしている人自体は未だ希少にしてもそのインパクトから話としては知名度が高いよね。いや狂ってはいるんだけどね。
その延長線上にあるといえばあるんだけどさ、いやなに無機物と子供が出来ちゃってるのさ。しかもドラゴニュート経由してるからって少女にしちゃってさ。

竜と人間が1/4ずつ、車が1/2の生命体。車って生命か?
作者の天才性が冴え渡っていると言わざるを得ない。


とはいえ複雑なハイブリットというのはファンタジー設定において考慮せざるを得ないところ。

ハーフエルフというのはまあトールキンの指輪物語の時代からいる訳だけど、じゃあクォーターエルフもいるよねとかややこしいことを言い出す人は後を絶たない。そういう事を言いだすとややこしくなるから各創作者は色々設定をどうこうして話をまとめる。人間とエルフの比率が1:7だろうが57:7だろうが混じり物はハーフエルフとして呼ぶとか、ハーフエルフは不妊とする(ラバみたいなもんか)とか色々やりようはある。

他にもエルフとオークの合いの子はどうなるんだとかトレントとフェアリーはどうなんだとか無茶苦茶言い出す奴も多い。
そういう場合一方の種族しか産まれてこないみたいなのがセオリーではある。


とはいえなんでもかんでも混ざったのが出てくるのも面白い世界かも知れない。
そうなるとその世界の遠い未来にはあらゆる種族が混ざったよくわからん完璧種族が跋扈しているということになりそうだが。

現実の人種もこういう風に薄れていくと思いきや案外そうはいかないというか、あくまで現在進行中なのか。グローバリズムとはいうが全て混ぜて個を喪わせることが良いことなのか?まあ人種なんてぐちゃぐちゃあっても殺し合うだけだからまあいいんだがそれぞれ個別に発達した文化はどうなるのやら。

現実で言えばネアンデルタール人とか異人種との交配の話もあるよな。大昔はそういうのやってた形跡がDNAに残っているんだっけ。



現在地球では、ちょっと肌の色の違う人々はいるが基本知的種族は一種類である。多種類の知的種族による交配というのにどのような意味を持たせるのか。これもファンタジー創作者の腕なのやもしれない。

テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2020/02/26(水) 23:51:19|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

この惑星で最も成功した生物「ナンキョクオキアミ」

ナンキョクオキアミ - Wikipedia


「この惑星で最も成功した生物」、大層な響きだがこの基準の無い問いに何を思い浮かべるだろうか?

まず安易に思い浮かぶのは人間だろうか。霊長類、万物の霊長に立つ存在と自負する二足歩行の獣は木々を切り倒し自分の都合のいいように自然環境を改変しつくし、ついには自分の住む惑星を百回破壊しつくせるだけの爆弾を作り上げた。
とはいえ、たかだか100億にも満たない個体数だともいえる。

そういう言い方では幾度となく発生する大量絶滅を切り抜け続け世界中のあらゆる環境に適応し存在する昆虫の類のほうが成功しているとも考えられる。
数はもちろん種類も豊富。

その考え方を推し進めていくならば細菌など微生物の類のほうが多く存在するか?ヤクルト一本に何億のビフィズス菌だっけ?
とはいえそこまでいくと今度は小さすぎるんじゃないかという話になってくる。

そういった観点から、バイオマス、生物の合計質量、でいうとナンキョクオキアミが最も成功した動物、ということになるらしい。


ナンキョクオキアミ、南極沖醤蝦。南極海に棲むオキアミである。聞いたことが無いという人の方が多いだろうか。
オキアミはエビに似た甲殻類で、プランクトン(浮遊生物)とネクトン(遊泳生物)の間ぐらいの遊泳能力を持つ。植物プランクトンを食べる。
ナンキョクオキアミは体長6cm重さ2gまで成長する。バイオマスは約5億トン。どれだけ大量にいるかわかるだろうか。
動物としては特徴的なこととして、飢餓時に脱皮して大きさが小さくなることがある。低栄養状態への適応という事だろう。また、生物発光もこなせる「光るエビ」だ。

その極端な多さから南極海では生態系の中心的な存在である。ヒゲクジラやアザラシ、イカ、コオリウオ、ペンギン、アホウドリなどの食料となっている。
人間もオキアミ漁業によって大量に捕獲し養殖漁業における飼料や釣り餌に使っている。人間の食べ物としては魚肉ソーセージなどの加工食品に用いられることも。



人間の間でさえ最も成功した人間というのはわからないものだ。ましてや生物となれば様々な候補が上がり得る。
その中で上がり得る生物はやはり重大な意味を持った生物だという事。

テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2020/01/31(金) 01:23:01|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Wikipedia探訪「ケチャップ」

ケチャップ - Wikipedia


ケチャップというと現アメリカ大統領のトランプ氏はウェルダンに焼いたステーキにトマトケチャップを掛けて食べることを好むという。
中々良い趣味をしているという感じではあるが、ともかくトマトケチャップはアメリカ合衆国を代表する味、ということになっているらしい。

トマトケチャップ。「トマト」ケチャップ。この言い様に違和感を感じる人はいるだろうか?あまりいないかもしれない。
現在日本、いや大多数の国々ではただケチャップ(ketchup)と書けばトマトケチャップの事を指す。しかしトマトではないケチャップというのも存在する。フィリピンのバナナケチャップを聞いたことがある人はいるだろうか?カナダなどでも様々なフルーツケチャップが売られている。
概ね酢や塩、香辛料を加えて作られる調味料である。

そしてそもそものケチャップ、語源に当たるモノは全く異なる。
17世紀の終わりごろに書物に現れるケチャップとは中国南部から東南アジアの魚醤(魚介類の塩漬けを発酵させて得られる液体調味料、ナンプラーやしょっつるのようなもの)を指していた。
今でもマレー半島やインドネシアではケチャップ(kicap、kecap)とは魚醤、あるいは醤油を指す言葉である。

その言葉が植民地支配したイギリスに伝わり、キノコから作られる保存調味料、マッシュルームケチャップが作られる。キノコに塩をかけて出た汁に香辛料を混ぜたもので今でもイギリス料理(馬鹿にされることも多いがそれも一元的な見方だと思う)に用いられる。
その他初期の「ケチャップ」として様々な魚介類系、植物系のケチャップが作られた。

それがやはり植民地だったアメリカに伝わり、ようやく食用とされたトマトの売れ残りからトマトケチャップが作られた、という具合である。
うむ。元の面影は全くない。塩ぐらいか?


ちなみにウスターソースはトマトケチャップ以前のケチャップということになるらしい。
ケチャップという名は散在しながらもそれ自体に統一された意味はない。
なんとなくカクテルの命名なんかも思い出す。なんとかマティーニってついてもどんなものかはわからんからな。

ともかく、調味料の一種のブランド的な名前、ということなのやもしれない。みなその名にあやかるがその名の意味は結局なんなのか。
なんでもおいしければいいか。

テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2020/01/24(金) 00:01:30|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

インターネット探訪「腰巻きビル」

なぜニッポンから「腰巻きビル」は無くならないか
続・なぜニッポンから「腰巻きビル」は無くならないか
るたろぐ

「腰巻ビル」は本当にダサいのか。建築のオーセンティシティについて考える。
能ある鷹h氏

腰巻きビルと向き合う
デイリーポータルZ


腰巻きビル。ごく簡単に説明すると、歴史的価値のある建築物の上にビルを建てたような外観のビルの事である。過去その土地に建っていたレトロなビルの歴史的価値を保存しながらその高い価値を持つ土地に高層ビルを建てて、文化的価値・経済的価値を一挙両得しようという具合の方法である。
法律的な要因もありこの手のビルは日本でかなり増えてきているのだが、こうしたビルを醜い・ダサいと批判する向きも多い。

確かにレトロな外観の低層階からいきなりガラス張りの高層階が生えている様相はデザインの統一性などという概念をかなぐり捨てている感もある。
それに歴史的建造物の保存といったところで昔のビルの外装を張り付けただけで低層階も中身は鉄筋コンクリートの最新スペックだという物も多く中途半端だという声もある。
一つや二つこういうビルがあるのならば物珍しいなで済むが場所によっては腰巻きビルだらけだったりもする。都市景観への多大な影響がある訳だ。

とは言え実際、腰巻きビルといっても色々ある。腰巻きビルだがそうと感じさせないデザインのものもあるし下部構造と上部構造で見事に調和がとれたものもある。
逆に、そういった相反的な構造を美として昇華させているビルもある。どのみち大都市のど真ん中に神社があったりするのが日本である。過去の栄光と未来への希望が重なり合うというテーマでならばあるいはアリであろう。
もしくはその醜さをこそ愛でる感覚もあり得るだろう。神戸地裁ビルの外観のあり得なさは寄生虫に侵されたカタツムリを想起させるほどだ。都市景観的にも無計画に伸びゆく建造物の群れは九龍城やウィンチェスターハウスのようなグロテスクの美となって表れ得る。

私個人の見解としては、もちろん完璧にデザインされた都市設計の美も素晴らしいと思うが、こういった法規制やら経済の都合やらの影響で出来上がった光景もまた、一種自然の美のようなそれを感じる。
芸術は制限から産まれるという話を聞く。様々な都合の中で建築家が最善を尽くした結果ならばそれもまた価値あるものではなかろうか。


なんにせよ、腰巻きビル。良きにせよ悪しきにせよ日本の風景の一ファクターとなっている。
妥協の産物かもしれないが、そこに現れる奇妙を愛でたい。そう思った。

テーマ:雑記 - ジャンル:サブカル

  1. 2020/01/15(水) 03:20:34|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ